命を紡いでいくこと
皆さんは毎年訪れるお花見スポットをお持ちだろうか?私の場合、足羽神社のしだれ桜がそれです。樹齢350年を超える老木は、その枝を添木に支えられながらも、いかにも悠然と毎年見事な花を咲かせます。
〝年々歳々花相似たり、歳々年々人同じからず〟
自然の悠久さと人生の儚さを憂えたこの唐詩の一節は有名ですが、今年ほどそれが身に染みて感じられた花見はありませんでした。
通院されている方はご存知かと思いますが、昨年10月より当院は在宅診療を始めました。在宅診療の場合、在宅で最期の看取りまでをご希望される方も多いのですが、実はこの花見の前日当院で最初の在宅看取りをさせていただきました。患者さんは、私が小さい頃からお世話になったご近所の方で、自分の足で立てる間は仕事場に立ちたいという思いが強く、入院治療を拒まれ在宅診療を選択されました。入院と違い、点滴をしたり、酸素を投与したり、痰を取ってあげたりという医療行為は十分にできませんでしたが、仕事場から漂う慣れ親しんだオイルの匂いといつまでも傍にいてほしいと願う家族に見守られた最期でした。
確かに植物の寿命は悠久で、老木でも挿し木をし環境を整えればいつまでも生き続けることができます。人は残念ながら、たとえiPS細胞を駆使したとしても個体としての死からは逃れることはできません。その代わり生きる情報を遺伝子として子孫に託し、言葉で語り継ぎ、〝死〟を見せることで〝生〟を意識させ、何百万年も命を紡いできました。その命を紡ぐまさにその現場に立つことこそが在宅医療の最も根っこであることを、その患者さんから改めて教えていただいたように思えます。心からご冥福をお祈りいたします。